2013年3月10日日曜日

[映画]ジャンゴ 繋がれざる者

2013年3月9日(土)に見てきました。
ネタバレあります。










あらすじ
南北戦争の2年前。賞金稼ぎがある三人兄弟の身元確認の為に黒人奴隷を助け出す。才能を見込んだ賞金稼ぎは二人で一冬組んで賞金稼ぎを行う事を提案。その代わりに別々に売り飛ばされて無理矢理別れさせられた黒人奴隷の妻を助け出す事を約束した。


映画のバックボーン
南北戦争は奴隷制度撤廃に対して南部連合が叛旗を翻した事でアメリカを二分する内戦です。映画では南部が主な舞台のため、奴隷制反対を明確に表明する人物はドクター・キング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツがドイツ人バウンティハンターを好演)しかいません。
当時の奴隷制度は州によって異なっており、奴隷制度がない州やカナダに奴隷を逃す「地下鉄道」という非公然組織もあった。
映画「リンカーン」の原作である「Team of Rivals」(中央公論新社より邦訳あり。文庫も出ました)では、ニューヨークで拘束された逃亡奴隷が裁判を経て持ち主の手に戻されるという事件が出てくる。この事件、逃亡を助けた船員(黒人)を逮捕するべきかどうかという議論にまで及んでいる。
アメリカ全体が急に奴隷制について対立関係に到ったのではなく、元々反対派の人もいたし、リンカーンのように徐々になくなる(それよりも法律に従うべき)と思っていた人がいたのは事実です。それが国を二分するようになっていった問題である事は予め理解しておいた方が本作理解に重要だと思う。

本作は奴隷制度について掘り下げて描写。西部劇は全盛期決して奴隷制度について反省したとは言い難いものが多かったと思いますが(というか出てこないのが大半)、タランティーノ監督は自身がどう思ったのかその認識を盛り込んでいるように感じられた。

ジャンゴの成長物語
本作はドクター・キング・シュルツがジャンゴを見出し、バウンティーハンターの仕事を通じて様々な事を教えて行くという構図があります。
作中のバウンティーハンターの仕事は賞金首が「Dead or alive」(生死問わず)担っている為、問答無用の射殺が基本。時として子供と畑を耕す容疑者を容赦なく狙撃で倒す事を求めるドクター・シュルツに対して迷いを見せるシーンがありますが、シュルツは如何に彼が極悪非道な犯罪者であるかを語って、賞金稼ぎとしての最初の一人を殺させる。
ジャンゴは頭はいいが知識が不足している様子をドクター・シュルツとの会話で表現。
賞金首が逃走するところをシュルツが狙撃しようとする。そこで最後の確認としてドクター・シュルツが「あいつで明確(possitive)なんだろうな」とジャンゴに確認を求めますが「『明確』の意味が分からない」という感じのやり取りで表現していた。
こういったジャンゴの「知識」「教養」不足はシュルツとの賞金稼ぎ旅を通じて、銃の扱いや攻撃方法、人の説得の仕方等を身につけて行く。
作中、乗馬について「ニガーが馬に乗っている!」で町が騒ぎになったり「ニガーはこの農園では馬には乗らない」と農園主に言われたりするような世界。当然巧くは乗っていないはずですが、作中では裸馬を乗りこなし、最後は馬術競技的な乗馬術まで披露。
ジャンゴの成長の表現は本作で大変重視されている要素になっているように思えます。

ドクター・シュルツの視点
ドクター・シュルツの原型は「イングロリアス・バスターズ」のドイツ軍大佐にあるかなと。あの大佐をもう少し人を良くするとシュルツになるんだろうなあという目で見てました。「イングロリアス・バスターズ」では敵役として魅力があり過ぎたキャラクターでした。
シュルツのビジネスとしての計算高さはジャンゴを拾って最初の賞金稼ぎシーンで「連邦保安官ではなく保安官を呼んでね」と酒場の主にいうシーンから明らかにされている。

そのせいかシュルツの台詞、西部劇なのに「Agreement」だの法務絡みの表現続出。
ジャンゴの妻の名前が「Broomehilda」(多分ブリュンヒルデの事)と聞いてジャンゴをジークフリードと呼び始めるようなロマンチスト。この描写、ワーグナー「ニーベルングの指輪」に代表される北欧神話の話をオーバーラップさせる事でこの後の死闘を予感させる。
彼が如何に奴隷制を嫌っているかは奴隷ダルタニヤンの最後のシーンでの表情(ジャンゴは役柄に忠実過ぎてダルタニヤンを買い取ろうとしたシュルツを妨害してしまう)とキャンディに嫌がらせとして握手を要求された際についに「我慢出来なかった」と言ってしまう行動に象徴されている。


面白いのはシュルツがブリトル三兄弟を探す為の農園回りの前に準備としてジャンゴに召使いのお仕着せを選ばせるシーンで演技論を語るところでしょうか。あの内容は映画にも通じるところがあるかなと思いつつ見ていた。
役になりきって行動するように求めるドクター・シュルツ。もっともこの点は彼が最後に破ってしまう訳ですが。。。

悪役二人 カルビン・キャンディと執事スティーブン
彼らの役は大嫌いになりました。(笑)
逆を言えば見事に演じられたという事かと。
タランティーノ監督は狭い室内で逃げられない状況を作って圧力を掛ける名手だと思いますが、あの展開でカルビン・キャンディ(レオナルド・ディカプリオ)が何をしでかすのか、また同胞を同胞と思わない老執事スティーブン(サミュエル・L・ジャクソン)の悪辣さ、奴隷が自分の首輪は金である事を自慢しているような演技は見事でした。


映画は観客がどう受容するか計算して作られるもの
映画は観客(=通常制作国の人々)を想定して作られる為、海外作品の場合は相手国の歴史や文化について知っていないと理解しにくい事はありますので、まずその国の歴史や文化について少しでも知っている方が理解の手助けになります。

映画の引用についてはその作品を見て気になったら調べる程度で充分。タランティーノ監督作品が多くの引用を含むのは事実ですが、その引用元を知らないと楽しめない映画があるとすれば、それはその作品が失敗しているという事に過ぎません。
無論タランティーノ監督作品自体にそのような事はない訳ですが。

映画は過去作を知っている人の為に作られている訳ではない。得意げに引用について語りたがる人がいますが、そういう行為が新しい映画ファンを遠ざける。
もし過去作を知っていないと楽しめないジャンル映画があるとすれば滅びて当然でしょう。

人の死の描写について
ともかく血と肉描写が凄まじい。ただ人に暴力を振るう、人を撃つ、そして人を殺すという事はこういう事が起きるのだという現実をきちんと示しているのは大事な事です。
この事を否定して「人が死にすぎる」といって本作を批判される方もおられるようですが、必然性はあったと思いますし、その事について自身が中で登場して爆死(!)するタランティーノ監督はそれなりに落とし前はつけているかなと。(あれは吃驚した)

最後は大爆発
「イングロリアス・バスターズ」は2本のストーリーラインを最後にすれ違わせる実質2本立て構造という実験作品でしたが、本作は二段落ち構造はちょっとどうかなと思いつつ、正統な物語構造に仕立てられてました。
が、「イングロリアス・バスターズ」は劇場の炎上シーンで終わるところ、本作はキャンディ邸の大爆発というシーンで終えます。ああやっぱり炎は必要なんだという。(笑)
西部劇構造をとりながら奴隷問題を取り上げてきちんと映画として仕上げられており、単なる過去作品フォロワーではない事が証明された映画だと思います。