2017年4月11日火曜日

映画「この世界の片隅に」すずさんと径子さん、そして北條家と

すずさんと径子さんの関係、そしてあの子を迎え入れるに際して誰も言葉を発する事なく受け入れた北條家について少し考えをまとめてみた。

映画、原作を元に論じていますので物語の核心部に触れている部分があります。






























1. 径子さんとは

時代の先端を行くモガ、そして良妻賢母

  一言で言えば、当時のスーパーウーマンではないか。モガ(モダン・ガールの略。モボもいた)として自分で仕事を見つけ、自分で夫となる人物を見つけて結婚。そして婚家の家業である時計店を改装してこれからというところで夫に先立たれ、店は建物疎開にひっかかり取り壊され長男の久夫は跡取りとして婚家に下関に連れて行かれてしまう。でも彼女はそれを自らの選択の結果だとして後悔していないと言い切る。時代の先を行く人でもあった事が分かる。だから、すずさんを最初理解できなかった。

径子さんから見たすずさん

  径子さんのすずさん像は映画では棘が減らされている。原作は戦後でもKUDOKUDOチョコレイト事件なんて描写もある。でもその前に映画にもある二人で「UMA〜」な姉妹関係にもなってる。
  径子さんからすれば広島の子やのに垢抜けない何を考えているのか掴みどころのない子。さらに弟の事情を知らされずに巻き込まれた何も知らない子だという二つの見方が渾然としている。だからいびり返してあげた方が良いと最初は思っていた事を原作で伝えるシーンがある。
  でも娘の晴美ちゃんはすずさんに懐いたし、義理の姉として立ててもくれていて、素直に知らない事を教えてもらおうともしている。結局慣れちゃうのですよね、すずさんに。
そして憲兵さん爆笑事件あたりでは文句言いながらもどこか彼女のことを認めているようになっていた。
  昭和20年8月に更に理解が深まるのは径子さんが居場所で悩んだ嫁としての立場がすずさんにもあるのだと理解したからだと思う。
すずさんが感情の勢いに任せて髪を切った時、径子さんはもう驚いてない。何をバカやってるのよとツッコミ入れつつ戻ったら切り揃えなきゃと言っている。自分の義理の妹がそういう子と分かっての台詞だった。

追記:
 晴美ちゃんの不幸があってからの径子さん。すずさんには怒りをぶつけてしまい話す切っ掛けを見失っている。径子さんは筋道は通っている。だから当たりがきつくなる訳ですが、晴美ちゃんの事では取り乱してしまっていてどこか壊れた反応をしている。
 焼夷弾空襲の夜。サンさんを含めて三人で不発弾を消して家の外へ移した。すずさんはこの時、径子さんと仲直りできたと思った節がある。だから翌朝もらった焼きジャガイモを義姉さんと分けようと声を掛けた。でもその前に防空壕にポツンと置かれた晴美ちゃんの遺骨のカットが入っていて、径子さんは娘を一人にしてしまっていた事を思い出したのか防空壕に行ってしまった。その結果、すずさんがまだ許されてないと誤解した。
 洗濯。すずさんは一人でやろうとした。それを径子さんは取り上げた。何も言わないのですずさんの誤解は広がったけど、径子さんにいじわるな気持ちがある表情には見えない。ここのシーンは台所からすずさんを追い出した時の径子さんを思い出せば随分と違う事が分かる。
 そして広島のあの日。焼夷弾空襲の夜以来か径子さんがすずさんに積極的に話しかける。そして、なぜかすずさんの服装はダメだと言い出して、手をひいてタンスに連れて行き我が娘のように着替えさせた。その後、すずさんを広島にいびり返そうとした日のような語調で病院に紹介状書いてもらえるのかなど細かく嫌味できつい指摘を繰り返し、すずさんが珍しく嫌そうな顔までした。直後に径子さんはすみちゃんの見舞いの古着をもんぺに仕立て直したものを渡すとすぐ正座して(姉弟、振る舞いは同じだ)晴美ちゃんの事で責めた事を詫びた。そして好きな場所を選んだらいいと心からの言葉を贈った。
 敗戦の日。径子さんはすずさんの怒りから目をそらしている。径子さんにも堪えてきた事はあった。そして晴美ちゃんの名前を泣き叫んだ。
そんな二人だから以後の連携プレイ、例えば直後の炊飯で息のあったものになったのだと思うし、エンドロールでの血のつながりのない北條家の三人「娘」の晴れ着のシーンでホッとしてしまうのだと思う。

※「え、なぜ「娘」に鉤括弧をつける?ってあれは昭和25年ですよ。姉さんはもう三十路を越えて」(径子さんにより以後の発言は削除されました)

2. すずさんの戦争

すずさんは無垢なのか?

  すずさんは無垢なのか。個性のある人だと思っては見ていたけど無垢の人だというのは、無垢の定義って何ですか?というところから話が始めないと無理がありはしないか。
  彼女が戦争に対して何かしらの意思を言い出したのは昭和20年8月7日。広島から飛んできた障子戸を下ろそうとした時の暴力に対する台詞からだと思う。その前の戦争への言及だと昭和19年夏の砂糖配給停止のあたりで戦争はどこにきているのかと内心で呟くあたりまで遡るはず。この時、そこまで悩むような事はなかった。
  戦争、暴力について彼女が考え始めるのは昭和20年6月の出来事で自身と姪に戦火が及んだから。5月の義父の行方不明、負傷ですらそこまでの影響は与えてない。義父と周作は戦場になり得る場所に働きに行っていて、長ノ木がその範疇外と見ていた節はあると思う。

すずさんの思っていた義務と居場所

  原作だと昭和19年秋あたりですずさんは妻の務めとして子どもを産まなければ、義務を果たさなければと思っている事が描かれている。彼女がその後悩むようになる「居場所」はこの「義務」を望まれていると思ったからという風に見える。
  でもそれは彼女の思い込みで北條家の人達はその事を重要視はしていた訳ではない。だからサンさんは昭和20年8月広島に帰るという日にすずさんに寂しゅうなるねえと優しく語りかけるし、径子はきつい言い方をしつつ彼女の居場所はここにもあるのだから好きに気兼ねなしに選びなさいと言う。

すずさんの生

  周作との喧嘩、列車内でそれを言うのかと言うぐらい生々しい事をすすさんは怒りからぶつけてる。こういうすずさんを無視して無垢だというのは男目線で理想的な少女像で見ているだけなのでは?と思う。
  こうの史代さんの描く女性像は他の作品見ても生々しい描写が時に入ってきている。そこにリアリティがあると思う。「さんさん録」での息子の嫁の台詞、「長い道」ての梅酒を巡る一夜とか読んでいればそう読み誤る話ではないはずです。

3. 北條家

灰ヶ峰の裾野に舞い降りた綿毛

  すずさんの嫁いだ北條家は実際どのような家庭だったのか。長ノ木という呉でも灰ヶ峰の上の方の家だったため、水道はなく隣保班共用の井戸を使用。廊下はあるが部屋同士は襖で仕切られているだけの5部屋からなる日本家屋。
  サンさんが足を痛めていて家事を行う人が求められていた。そして周作の事情もあって昭和8年12月(映画版による)の出来事から浦野すずに対して白羽の矢が立てられ縁談を申し込む仕儀に到った。当時の世相から言えば若い男性が家から仕事に通っていて軍隊に取られる心配もない(これは後に覆されるが)というのは恐ろしくいい条件だったはず。すずさんの両親の十郎・キセノの二人が断らなかったのも無理はなかったと思う。
こうしてすずさんは呉の灰ヶ峰の裾野に舞い降りる事になった。

周作との関係

  すずさんは結婚の夜、周作にいつ出会ったのか問いかけている。周作はそれに対して昔出会っている事とすずさんの左頬にある黒子があったと言う。
  周作がすずさんを呼んでしまった経緯は語られる事はない。ただ昭和8年12月の出来事は彼にとっても鮮烈な記憶であったのは確か。そしてすずさんとリンさん、そして周作の不思議な関係の因果がこの物語の一つとして語られていく事になる。

北條家の教育

  北條家は径子さんが自ら仕事を探して、更に自由恋愛結婚(厚労省の統計を見ると当時20%に届かない比率だった)する事を許している。また周作はおそらく高等小学校より上の学校まで進学した上で(浦野家に縁談申し込みに行った際、円太郎が「こちらの学校へ通っている時に見初めた」のだろうと言っている事から推測可能)海軍文官職である海軍軍法会議録事として就職している。周作の部屋の本棚にぎっしりと詰め込まれた本を見ても北條家が子ども達に教育の機会を与えてきた事が分かる。

北條家の食卓

  すずさんが嫁いだ直後はまだ食卓も豊か。円太郎と周作には一品多くなっていた。昭和19年夏、物不足が食糧不足にまで及び始めた時、鰯4匹を両親優先で1匹ずつ、そして周作とすずさんが半身ずつという風な分け方をしていた。そしてほどなくこのような事も出来ない状況へと悪化していく。このような家長・跡取り重視に見える食卓になっているのは、円太郎が呉海軍工廠(造船部門?)→ロンドン軍縮で失業後、広海軍工廠(航空部門)で就職したというサラリーマン家庭だった事が要因だろうか。

あの子を迎え入れた北條家

  径子さんのモガぶり、それと矛盾する北條家の食卓事情を考えると見えてくるのは両方の要素を併せ持った少し先を行く家庭だったんじゃないだろうか。だからすずさんに対して跡取りを早く産めというような古い家長主義を持ち出したりはしていないのだろうと思う。そういう家だったから周作とすずさんが子どもを連れ帰ってきても誰も驚く事なく二人の決めた事を受け入れている。径子さん、すずさんに誰かの面倒を見る事は必要な事だった。その事がみんな分かっていたのだろうなと思う。