2017年8月18日金曜日

映画「君の名は。」作品論:神話とその語り手と

 「君の名は。」についてどのような作品世界なのか時系列で検討して水面下で作られていた物語世界について見方の一つを考えてみた。

内容は配信版に拠った。(映画公開版より日付や時刻を中心に大幅変更されている。筆者が確認した変更箇所は「映画「君の名は。」考察メモ 第2版」に記載している。

関連ページ:
映画「君の名は。」考察メモ 第2版
In the future again

注意:物語の核心部について触れています。

公開:2017年7月29日(土)
改訂:2017年8月18日(金)
































1. 視点の存在 語り手の存在

  本作は基本的に主人公二人の視点で物語られる。主観的描写が多く大半のシーンは主人公二人のいずれかがその場にいる。(例外のうち台詞が当てられているのはテッシ&サヤカ、町長と勅使河原父(後半に町長のみのシーンもある)、奥寺先輩&司に限られる)

  世界描写はロケハンを主用していてリアルに見せている。但し、映像美を重視して必ずしもイコールではない。(JR四ッ谷駅は左右反転させて用いている。更に太陽方向が直前までのシーンと入れ替わっている)また岐阜県飛騨の架空の町は様々な地方描写を集めて構築されている。

  実際に見せられている世界は極めて不可解な描写が多い。これは後半にクローズアップされていく事になる。

2. 時系列解釈

  OPアバン。三葉25歳、瀧22歳が朝、それぞれの家で目覚めて身支度をして電車に乗っている。三葉の部屋には立体裁断などパタンナーや服飾デザインで必要な仕事のバインダーなどが積まれていて就職しているのだろうなという事が分かる。
  新宿駅の情景、新宿駅〜代々木駅間での総武線・中央線・湘南新宿ラインの電車のすれ違い、代々木駅4番ホーム進入電車右側車窓からの駅の光景、3番ホーム進入中の電車左側扉窓に立つ瀧、2番ホーム?電車の左側扉窓に立つ三葉。そして2013年10月4日の彗星の夜を思い出す。

  ここの描写は現実にありえる形での日常の朝が描かれている。
  この後の展開から言えば瀧と三葉の思い出している2013年10月4日の彗星は異なる時空を指している。三葉は1回目、自らの死に到る彗星の落下前の光景。瀧は2回目、三葉たちがおそらく今となっては理解しがたい行動で住民を救った夜の光景を思い出している。

2013年/2016年 9月12日・13日:

  二人が入れ替わりに気付く。ここでは13日の三葉が12日に入れ替わった瀧が自分として何をやったのかを知る事になる描写と並行して、二人のスマートフォンの日記が3回入れ替わりつつ出てくる。(時刻はスマフォ閲覧時刻)

(1)17:35 瀧
(2)17:46 三葉 (映画公開版では23:46)
(3)17:28 瀧

この後、瀧は6日以降のフラッシュバックを含めて前前前世になだれ込んでいく。

  瀧のスマートフォンの時刻が前後しているのは配信版でも修正はされなかった。
もし二人の入れ替わりが三葉:2日→瀧:5日とずれているのだとすれば、以下のように推移するので(1)三葉の12日の行動を瀧が察知し、次の入れ替わりで美術室の乱と左腕への油性ペン書き込み攻撃を敢行し、(2)13日に三葉がこれに気付いき、(3)さらに瀧も17日以降に気付いたという流れは考えられる。(この場合(3)の後に何故12日日記が2個も入っているのか説明がつかないのが弱点)

三葉: 2日←→瀧: 5日
三葉: 5日←→瀧: 9日
三葉: 9日←→瀧:12日 (1)
三葉:12日←→瀧:16日 (2)(3)
三葉:16日←→瀧:19日 

  但し、監督自身が同日入れ替わり説をQ&Aで答えているので、語り手の証言を重視するのであれば否定される設定ではある。

※2013年9月2日の三葉はどこの誰と入れ替わったのか?

  本論考では2016年9月5日説を採っている。
この他に監督の2016年9月2日入れ替わり説(本人はきれいに忘れているらしい)があるが、こちらは2016年9月2日の反応を司や高木、奥寺先輩たちが誰も触れてないのは疑問が残る。9月3日にテッシやサヤカが三葉の事を心配しているがああいう反応が描かれていないし、5日が2回目なら「まただよ」的な反応があってもおかしくない。

2013年9月29日または10月2日:

  ニュースでの彗星軌道図は9月3日のリアルスティックなものからデフォルメのされたものに差し替わっている。(これはこのまま2回目の10月4日のニュースでも出てくる。)
  テレビ台に少女漫画雑誌、電子端末が出てくるが、これは三葉が降りてくるまではなく、三葉が居間に入ろうとしてきた時に初めて姿を見せている。(但し9月3日にはあった「星を追う子ども」はなくなっている。)
三葉は秋服(ブラウス+ノースリーブセーター)に着替えていて衣替えがあったかのようになっている。また掛けてある服にはブレザーらしきものが描かれている。衣替えのタイミングは月初めだとすれば10月になった証拠とも取れる。
その一方で三葉の部屋の花の写真のカレンダーはめくられておらず9月と同じになっていた。

  御神体の山の方位は登った時に太陽が右側から射していた事を考えると湖西〜北西方向にあると考えられる。これはいくつかパターンがあるようで頻繁に変わっているようにも見える。

  なお、御神体を取り巻く川の水量が少なかったのはこの日だけだった。2回目の10月4日ですら水量は多かった。

  この日は9月29日、10月2日のいずれなのか。2013年糸守描写では証明できるような日付の提示は存在しないがニュースの「数日後に彗星の来訪が」という部分を重視するなら、2日説は取れない。
一方で三葉の衣替え、29日なら日曜日なのに制服を着て降りた事など10月であってもおかしくない描写が為されている。(カレンダーは単にめくり忘れていたとすれば、あり得ない訳ではない)

2016年10月3日:

  瀧のマンションのドアが右開き(逆開き)となった。この描写は後にも先にもこの時に限られる。そして隣の家も丁寧に逆開き仕様になっていた。
瀧が「飛び出した時にその方が早くスムーズに出られるから」と思ったらそうなったんじゃないかと思わせるものがある。
  この描写、2021年10月4日代々木駅で新宿から4番千葉方面ホームに入ったはずの電車が視点切換の瞬間に3番ホームに逆進する形で入線してドアを開くシーンにしていた事が想起される。(この電車には大学生の瀧が乗っていた)

  四ッ谷駅での待ち合わせ、奥寺先輩と瀧が話している時に手前を横切る眼鏡の女性は、奥寺先輩の後ろから瀧を写すカットに変わった時に全く別の女性になっていた。意図的なものかは分からない。

  瀧が三葉に電話した時、「電波が届かないか、電源が切れている」つまり電話番号自体は存在している事を示す描写が選択されている。ノベライズではここは実在しない応対アナウンスが流れているようにしていた。

  満月を電線が分断している構図は「毎秒5センチメートル」の引用となっている。半月が半身である三葉を失っている瀧の心象反映だとしたら(監督がその点はQ&Aで認めている)分断された満月は何を意味するのか。三葉が何らかの形で生きている事を示す描写と受け取れない事もない。(この描写は2021年10月4日に再度出てくる)

2016年10月3日〜20日:

  この間に記憶の掘り起こして糸守小学校を中心とした俯瞰図の掘り起こしが行われている。

・劇中で糸守小学校と湖の俯瞰図は三葉(瀧)が見るシーンは存在しない。また左右岸の描写もこれに対応するシーンは出てきていない。
・合わせて描いた絵の中には御神体の山の俯瞰図が存在する。山稜から想像で描くには難易度の高い絵だと思う。

  高木のシフト変更の代理引き受けのビデオは映画版17日10時から配信版20日(木)8時12分撮影に変更されている。
  出発前の晚の夜の月は下弦の半月となっていた。これは21日(金)の夜には上弦の半月に変化している。

2016年10月21日(金):

  瀧らが乗った新幹線の三列シートが山側についている。新幹線ロケハンは新大阪〜名古屋間で行われている事は絵コンテに記載があって分かっている。その影響であってそれ以上の意味はないと思う。

  糸守高校跡のシーンでは太陽は眼鏡湖対岸の山並みの方へと沈もうとしていたので高校=東、神社後=西であろうと考えられる。
ところが古川図書館で閲覧している郷土史料の地図はどれも神社=北、高校=南で示している。新聞記事でも「糸守湖北部住民と祭の参加者が犠牲に」となっている。(地図の南北は瀧のスマフォがノースヘディング表示しているらしい描写が何回かある。また2回目の10月4日にテッシが湖の地質地図の載ったページを三葉とサヤカに見せているが、その地図に方位記号が描かれている。)

  犠牲者リストでテッシと早耶香の名前を見つけた時、その下の段には宮水家の三人が出てなかったのに、視線が下に移ると間に割り込んで載っているのが分かる。瀧が探したから出てきたようにしか見えないかなり異色な描写になっている。

  そして最後には「夢をみとる」という一葉の声が瀧の中に響いて終えている。

2016年10月22日(土)その1:瀧

  高山ラーメン吉野の親父さんの軽バンで御神体の山へ向かっている際にスマフォの地図アプリと2013年版糸守地図を併用しているが、いずれも神社=北、高校=南となっていて前日高校跡訪問時と異なる「地形」に変化している。
また日差しが右手から当たっていて地図通りの方位らしい事が分かる。

  御神体山稜に出た時、湖の見え方がまた少し変化している。(正面に眼鏡湖中心線が来ていたのが左へ30〜45度ほど回転したように見える)
また山稜から見たクレーター地形の右側に別の山の稜線が見えているが、これはかたわれ時前後には全く見当たらずこの時だけの描写になっている。

  御神体を取り巻く川も三人で登った時と様相が変わっていて水量が大幅に増えている。その「川」を越えて御神体内の祠に入り口噛み酒トリップに到る。ここで見えているスマフォの時刻は13時52分となっていたが、トリップ直前には13時53分に時刻が変わっていた。

口噛み酒トリップ:

  三葉とその家族の物語が示される。ここでの描写はこれまでに見てきた2013年9月の描写とイコールではない。

宮水家の母屋、離れ、廊下の位置関係が9月3日と異なる。
・宮水家の母屋の応接間の引き戸の円形意匠部分の材質が異なる。(ここでは半透明。2013年9月では木製らしい描写になっていた。)
宮水家の母屋の応接間らしき部屋にはソファ類は置かれていない。畳に卓があるのみ。また居間、仏間が板間で描かれている。
・10月4日三葉の部屋の風鈴が姿見側ではなく勉強机側の窓にぶら下げられている。
・隕石の落下は2回目の10月4日と異なって見える。(1回目の10月4日に三葉がみた情景が3分割して見せられる。ここでは2分割目の衝突直前までが描かれて鐘の音が鳴り響いている。)

2回目の2013年10月4日(金)その1:

  居間からは雑誌類や電子端末が姿を消している。(御神体登山の日までこういったものがテレビの周りで写り込んでいた)
  また応接間には9月3日、御神体登山の日と立派なソファーなど揃えられている様子が描かれてきたが、ここでは家具類が何もない部屋に変化している。口噛み酒トリップに近いが居間や仏間の様子が異なり同一ではない。

  高校ではテッシが初めて同じ教室にいる姿が描かれている。ここからの時間の進み方はかなり異質。

・午前:サヤカ コンビニでお菓子類を買い込む
・午前:三葉とテッシの部室での作戦立案
・午前:サヤカの到着と決定
・昼過ぎ〜15時前後の高校グラウンド
・午後:三葉、町長である父親の説得へ赴く。
・午後:陽が暮れ始めた町庁舎近くの道路で四葉、テッシ、サヤカが勢揃い
→午後:三葉、テッシの自転車強奪。御神体の山へ。

  具体的な時刻を知る事が出来るような描写は存在しない。太陽からいつぐらいか憶測するしかない。(部室の時計は見切れていて針までは写り込まない)
  御神体の山へ向かった三葉は太陽を右側から受けて自転車を走らせていた事から、町役場=東、御神体の山=湖の南東〜南にあるという事が見えてくる。(但し1シーン、太陽方位が変わっているシーンがある)

2016年10月22日(土)その2:三葉

  瀧が口噛み酒トリップ直後に2回目の10月4日の三葉に入った事で、彗星災害で亡くなった記憶を持つ三葉が入れ替わって瀧に入っている。山稜に昇った時、眼鏡湖中心線に並ぶ形で太陽も傾き始めていた。斜め右の軌道で西の空へ沈んでいく事になるのでこの時の御神体の山は北東にある事になる。

2013年10月3日(木):

  口噛み酒トリップは糸守で起きた事しか瀧に見せていない。東京にいた間に起きた事は、2回目の10月4日、御神体の山へ向かう時に三葉の記憶から知る事になる。

 東京駅へ向かう新幹線は左側へ進行する形で到着していてかなり異様。(瀧は逆に左へ進む事で名古屋へ向かっている)

 三葉が彷徨っている中で大型ビジョンで彗星の映像が表示されていた。この時月は上弦の半月でイオンテイルは左側へ出ていた。(かなり広角レンズで撮られていて地平線が湾曲している。)

 三葉は四谷須賀神社の階段らしいところで足を休めたりしているが、一番決定的な展開は代々木駅〜四ッ谷駅での瀧とのやりとりと周辺描写の変化だろう。

乗車した時は液晶パネル付の車両だったのに、液晶パネルが大写しになり次の停車駅案内が流れた後、紙の停車駅一覧に変わっており液晶パネルが消え去っている。(瀧の世界では総武線各停で液晶パネルがない車両が出てくるのはこの時のみ)
・三葉は瀧が中2だと気付かずに話しかけて、瀧から「知らない女」扱いされてしまう。
四ッ谷駅手前の御所トンネルでは現実の世界では中央線の線路を三葉と瀧が乗った総武線各停が走っていて入れ替わっている。
四ッ谷駅では左右反転した世界で中央線プラットホームに二人の乗った電車が入線していて入れ替わったままになっている。
・瀧は四ッ谷駅で降りそうなものなのに降りない。そして三葉は動揺故か降りなくて良いはずの四ッ谷駅で降りようとしている最中に組紐を相手に渡している。

 そして三葉の回想はここで途絶えている。この事を知った瀧はこの時の瀧なのか反応を振り返ると曖昧にみえる。

かたわれ時の直前:

  瀧、三葉とも御神体の山の稜線に出てくる。太陽は左手に落ちており北西〜南東に湖が並んでいる状態だと思われる。

かたわれ時:

  太陽の位置が大きく変わっていて湖右手に沈んでいる。その事から御神体の山は北東にあると考えられる。この時の二人はそれぞれとは別の時空につながった事で直接出会えたようにも受け取れる。

2016年10月22日(土)その3:瀧

  かたわれ時が終わった時、上弦の細い三日月が左手上空に見えていた。組紐は三葉の手元に戻った。そして終わった瞬間に三葉が持っていた油性ペンは地面に落ち、1本の線が瀧の右手の平に残り、それ以外の記憶は消え去っていった。

2回目の2013年10月4日(金)その2:三葉

  変電所へ向かう三葉。テッシと合流して爆破作業に掛かったところで夜空には上弦の半月と彗星が見えていた。月はこの時が最後で以後の夜空では出てこなくなる。
神社の位置は東側、西側の2パターンあったと思われる。彗星が進む方向=西は中2瀧が自宅近くの高台から西の東京都庁などが見えている方向に彗星が進んでいるように見えるところから、そう考えて差し支えないと判断した。

神社=東
・糸守俯瞰夜景で上に隣町(神岡らしい)が谷沿いに広がっているシーン
・鳥居・湖方向に進む彗星が見えているシーン(テッシ)
(うち彗星イオンテイル右)
・三葉が防災放送スピーカーを見上げているシーン
・19:50頃隕石分離が確認された時、神社境内から湖が見えているシーン

神社=西
・町役場付近で彗星が左へ進んでいるシーン(三葉)

※サヤカが彗星を見ているシーンは存在しない。

  三葉が町役場近くに飛び出してきた時、左側には低い半島地形が湖に突出していた。またその向こうの対岸は山が入り組んでいるように描写されている。
この風景は「前前前世」で太陽の日の出からのタイムラプスシーンの光景に近い。この時、右側が東、左側が西だったので方位は合致している。

  隕石の落下シーンは三葉が父と家族の元に駆け込んだ直後にOPアバンのシークエンスの繰り返しから始まる。(本作品は繰り返しを嫌っているので特別なシーンである事も分かる)
  空から隕石が落ちてきた時、停電の際に出てきた神岡の夜景カットは出てきていない。雲間を通った際に向きが乱れているらしい描写があるので、ここで見えている方角が変わったように思われる。
  隕石が落ちる直前の湖右岸と落ちた直後の右岸は同一に見えない。また高校が見える俯瞰カットでも右岸の様子は三葉らが学校から見てきた情景と大きく異なる。爆風や土砂、水が襲いかかる中で右岸側は人家などがあったように見える。
  門入橋も爆風に覆われていて無くなったように描かれているが、橋の場所が今一つはっきりしない。三葉の登下校シーンから言えば西側は確実で、おそらく南西じゃないかと思うのですが、爆風をもろに浴びる描写にされていてそうは見えない。

  これらのシーンの方位関係は正直識別方法が分からない。複数の糸守がある時空世界での彗星災害を編集して見せれているのではないか。そういう印象がある。そうなると少なくとも神社の位置は東と西のパターンはあるはず。

  そして町役場以降、三葉の側の視点はエピローグの春の日まで出てこなくなる。

2016年10月23日(日):瀧

  かたわれ時から戻った翌朝。日射しは背中右側あたりから当たっているので、神社=東〜南東になっていると思われる。

2021年10月4日:瀧

   総武線電車の瀧。新宿方面から来たようで電車が4番ホームに進入していたはずなのに3番ホームに入り、そこで三葉らしき女性を見かけて3番ホームに降りている。

  奥寺先輩に呼び出された瀧は2016年10月の出来事を振り返っているが、飛騨旅行の途中で奥寺先輩らと別れて山で一夜を明かして戻った事ぐらいしか覚えていないという。

・YUNIKA VISIONで紹介されていた糸守湖の俯瞰写真、太陽は左上方向から射しているように見える。2013年10月5日朝の光景のようなので(ヤマダ電機の建物の日の当たり方から推定)湖の左上方向が東に当たると思われる。(2013年10月23日の瀧が見ていた光景の位置関係と一致する。)
・町長は写真入りで紹介されているが、記事での評価は手厳しい。避難措置がそもそも何故なのか理由の見えない強権として批判されている。
2016年10月3日に引き続き、満月の分断が現れている。

2021年12月3日:瀧

  テッシ&サヤカのカップルが瀧の視界に入ってくる。結婚式場を見て回っているようで二人で結婚雑誌を見ている。サヤカの飛騨弁は相変わらず。

  瀧が新宿の歩道橋を歩いている時、三葉らしい女性とすれ違い組紐が弱い風鈴の音を鳴らした。風鈴は2回目の10月4日の山稜で見えない二人が相手の存在に気付くきっかけとなっていた。であれば、この時も見えていない可能性がある。

  図書館に向かった瀧は糸守の写真集を手にする。2016年10月21日に古川図書館で見ていたものを再び見ている。糸守展望台からの小学校と湖の光景左岸、右岸ともやはりあまり出てきていない光景のもの。
また宮水神社境内からの写真は右手に突出部が見切れている。9月3日に三葉姉妹が見た情景が近いが突出部の写り込みはなかった。

春の日:

  糸守の若者達の近況紹介。(松本(コンビニ)、桜、花、美術室などで見切れていた眼鏡の男子学生(花屋)、家を探しているテッシ&サヤカ、高校生になった17歳の四葉)
トシキや一葉は出てこない。テッシ&サヤカのみ12月に引き続き登場している。

  瀧と三葉の朝。OPアバンの2021年秋の情景の繰り返しに見えるが微妙に異なる。逆を言えば同じような部分が多すぎるかも知れない。(三葉の部屋に積まれた仕事関係のバインダーなど)
三葉は6時50分頃に起き出して身支度している。洗面台ではアバンと異なり眼が鏡に映り込んでいる。

  二人のシークエンスは基本的に一人の人物が動いているかのように編集されている。駅改札を通る三葉→エスカレーターを降りている瀧。

  そして電車の光景で三度異常な描写が入っている。
瀧は基本的に電車進行方向に対して左側扉窓の位置に立っている。
三葉は最初瀧と同じように左側扉窓の位置に立っている
が、瀧を見つけた時に左側へ進行する電車の右側扉窓の位置に変わっている。
(なお瀧がすれ違う前に見ていた光景は新宿駅北側の新宿職業安定所前交差点付近の山手線ガードからの光景を左右反転して使っていると推定。この場所は「言の葉の庭」でも最後に登場している)

  二人が駅を飛び出したのは10時40分過ぎ。三葉は何回も逆の方向へ走っている。そして二人が出会った時、須賀神社参道の日射しは午後になっているように見えた。

  このシークエンスで気になるのはタクシーの存在。(AR台本では「春色のタクシー」)
三葉が須賀神社参道下を北へ走った直後の周辺の光景カットの中にはタクシーが停車しているカットが含まれる。そして三葉が神社参道上から、瀧が神社参道下から階段を歩き始めてすれ違った後に立ち止まった時、タクシーが止まっているべき位置には何もいなかった。

  二人が声を掛け合ったのちに、同時にお互いの名前を問いかけた時、階段を降りた先の坂道にまるで今来たかのようにハザードが点灯させたタクシーが停車しているのが見えた。

  「春の日」の二人は異常な描写の積み重ねの果てに出会っている。時間経過を推定するとそのままストレートに出会えたと思えない。そして電車内で相手を見出す直前の立ち位置、タクシーの見え方はそういう見方の可能性を示しているようにも見える。




3. 総論:神話とその語り手と

(1)神話の語り手 ユニバースとマルチバース

   監督の発言を読んでいると作品世界を作り出した神視点ではなく、作品世界の物語を聞き取って見せている語り手の意識があると思う。御神体の山の巨石について問われた時、断定せずに「と思います」と答えている。
  また語り手の視座を取る事で物語を全て精緻に語る事を回避している。フィクションは作り手が自由に出来る余地は大きい。逆に全てを決めていると見られるのは避けたいという要素も出てくる。

  本作は表向きユニバース・タイムスリップものとして受容できるように物語が構築されている。その一方で地形描写などで辻褄の合わない描写が頻出する。瀧が飛騨を訪れて、糸守高校→古川図書館→御神体登山では、最初に眼鏡湖=東西並び(糸守高校)から始まり、図書館でこれが南北並びの地図に変わり、御神体山稜では北西・南東並び(ここで神社が南東側になっている可能性大)に変わっている。このような時空世界の変遷は多分9月3日のテッシが掲げた「ムー」のマルチバース、多元宇宙論によるものではないかと考える事は出来る描写が埋め込まれている。

  思えば、テッシの言う事は何かある事が多い。「ムー」のマルチバース、10月4日での三葉が髪を切った理由など意外な「真相」に触れている。

  本作がマルチバースものだとすれば、どのような世界になっているか。仮説としては三葉と瀧それぞれがそのような事が起きている泡宇宙に遷移し続けているという事は考えられる。
  そして、かたわれ時はそういう二人の意思が一致して出会えた時空だったが、その時は再び元に戻る。それは彗星災害が起きようとしている複数の時空世界を変えるためか(隕石落下前後のシーンは右岸側の描写が微妙にカット毎に異なっているように見える。)
この観点で瀧との入れ替わりと出会いは全て予知夢の変種として機能していると言えるだろう。

(2)「春の日」への道程

  OPアバンは事の起こり(三葉)と一つの終点(瀧)を示している。

  1回目の彗星災害に対して瀧が事実を知るべく飛騨旅行を通じて三葉たちがいた時空世界へと徐々に近付いていて、口噛み酒により1回目の災害で亡くなったはずの三葉の意識を今いる時空世界の自分に写し、そして代わりに瀧はまだ彗星災害が起きていない時空世界の三葉に入った。(この時空世界の由来は謎。1回目の時空がリセットされたのか、新しく出現したのか。ただ1回目と同じではない事は宮水家の家のレイアウトや置かれたものの違いなどで明らか)

  2回目の10月4日の世界で三葉の身体を借りて瀧がテッシとサヤカを動かしお膳立てを行った後に三葉本人でなければ父親を説得できないと思った時に鳴った三葉の部屋の風鈴の暗示を受けて、南の方にある御神体の山へと向かう。

  山へ向かう間に三葉が2013年10月3日に上京して何があったかを瀧は知る。おそらく本来別々の時空世界の二人が何のいたずらか直接出会っていて、その時に組紐が三葉の手を離れて瀧に渡っている。

  御神体の山にはこの時空世界の未来、2016年の世界にいる瀧(三葉)が山稜まで登ってきていた。すれ違いざまに風鈴が鳴り声が聞こえたが相手は見えない。そして、かたわれ時になった時、糸守湖の右手に陽が沈み行く時空世界で瀧と三葉が17歳同士最初で最後の出会いを行った。そして、かたわれ時は終わると二人はそれぞれの時空に引き戻された。

  三葉は山を駆け下ってテッシと合流して変電所に爆薬を仕掛けた。その時、上弦の半月とイオンテイルが左側に出た彗星が見えていた。(神社=東)
停電と同時にサヤカが防災放送占拠して避難命令を流した。糸守湖の上空からの俯瞰では神岡の北西にある事が分かる夜景が出てきた。(神社=東)

  神社の境内。高校へ避難しない人は多い。三葉は瀧の名前を失った事に気付き泣き叫び、テッシは片思いが終わった事を悟ると共に三葉に対して鬼軍曹の面持ちで活を入れ、父親である町長の下へ三葉を走らせた。最後の切り札、消防団を動かすには町長の説得は不可欠という町の土建屋の子らしい冷静な判断だった。
  三葉が役場に向けて走る間にサヤカは捕まり、彗星が分裂して隕石の落下が始まった。テッシが境内で彗星の分裂を見た時、神社は東側にあった。

  三葉が湖岸道路に出た時、湖面の彗星の反射と頭上の彗星の向きが食い違うという不思議な光景が現出していた。そこで三葉は転倒して気絶してしまう。目覚めた時、瀧の残した油性ペンで書かれた告白を見て気持ちを奮い立たせて再び立ち上がる。その時、彗星は左方向へ流れていった。(三葉が走ってきた方向から見て神社=西)
  町長室へ駆け込んだ三葉。父親である町長は怒鳴ろうとしたものの途中から昼の出来事と合わせて何を娘が訴えようとしていたのか悟った。全てのピースが彼の脳裏ではまった瞬間だった。

  瀧は2016年10月の夜に引き戻された。上弦の細い三日月が見える中で三葉に関わる記憶を失った。(この時、神社跡の湖が手前にある事から東〜南東側に神社があった世界だと分かる)
  翌朝、背中越しに日射しが当たっていた事から、東側の山稜に立っていた事が分かる。(神社=東)

  この事から瀧(神社=東)と三葉(神社=西)は別々の時空世界に別れてしまった事だけは分かる。こう考えると2016年10月3日、2021年10月4日の満月の分断は三葉が別の時空世界にいるという事を示しているように見える。

  2021年10月4日、12月3日は瀧と三葉に関係が深かった奥寺先輩と司、サヤカとテッシのカップルのその後を見せるためのエピローグになっている。
  翌年?の春の日において三葉が瀧の時空世界に移り変わって三度出会ったのだとしたら、それが持続的なものなのかどうかはオープンエンドの形にされているのかなと思う。
監督が言う「諦めなかった二人へのご褒美」がどの程度のものなのか。こればかりは分からない。


  本作がもし高校生の瀧と三葉の時代で終えていたらここまでのヒットはなかっただろう。8年後の世界、大人になった二人が描かれた事で作品を受入れる世代が大きく広がった。多分、それが計算違いだった最大の要因じゃないだろうか。

(3)「神話」としての「君の名は。」

  現代に残されている「神話」と呼ばれるもの当時起きた事実を混ぜたものから、純然たるフィクションとして考案されたものまで入り交じっている。共通項は語り手の存在であり、そしてその語り手が全てを正確に語るとは限らないのは今も昔も変わらない。
「君の名は。」もそういう神話構造を持った表向きの物語とそれを水面下で表向きのストーリーとは異なる論理で編まれた作品なのだと思う。
  編み込まれた物語は「星を追う子ども」でも試みられたイザナミ・イザナギの黄泉の国の物語であったり、東京を舞台にした「言の葉の庭」であったりと「過去作のベスト盤」というものも織り込まれている。そして大人や高校生達登場人物達の持つ感覚のリアルさと伝奇SF的な設定(神社関係は描き込んでいるようで宗教色が出過ぎない距離感覚も絶妙)が融合して見せた事が本作の魅力なのだろう。