2017年9月4日月曜日

映画「君の名は。」作品論:物語という神話とその語り手と

 「君の名は。」についてどのような作品世界なのか時系列で検討して水面下で作られていた物語世界について見方の一つを考えてみた。

内容は配信版に拠った。(映画公開版より日付や時刻を中心に大幅変更されている。筆者が確認した変更箇所は「映画「君の名は。」考察メモ 第2版」に記載している。

関連ページ:
映画「君の名は。」考察メモ 第2版
In the future again

注意:物語の核心部について触れています。

公開:2017年7月29日(土)
改訂:2017年8月18日(金)
































1. 視点の存在 語り手の存在

  本作は基本的に主人公二人の視点で物語られる。主観的描写が多く大半のシーンは主人公二人のいずれかがその場にいる。(例外のうち台詞が当てられているのはテッシ&サヤカ、町長と勅使河原父(後半に町長のみのシーンもある)、奥寺先輩&司に限られる)

  世界描写はロケハンを主用していてリアルに見せている。但し、映像美を重視して必ずしもイコールではない。(JR四ッ谷駅は左右反転させて用いている。更に太陽方向が直前までのシーンと入れ替わっている)また岐阜県飛騨の架空の町は様々な地方描写を集めて構築されている。

  実際に見せられている世界は極めて不可解な描写が多い。これは後半にクローズアップされていく事になる。

2. 時系列解釈

(1)神話の語り手 ユニバースとマルチバース

   監督の発言を読んでいると作品世界を作り出した神視点ではなく、作品世界の物語を聞き取って見せている語り手の意識があると思う。御神体の山の巨石について問われた時、断定せずに「と思います」と答えている。
  また語り手の視座を取る事で物語を全て精緻に語る事を回避している。フィクションは作り手が自由に出来る余地は大きい。逆に全てを決めていると見られるのは避けたいという要素も出てくる。

  本作は表向きユニバース・タイムスリップものとして受容できるように物語が構築されている。その一方で地形描写などで辻褄の合わない描写が頻出する。瀧が飛騨を訪れて、糸守高校→古川図書館→御神体登山では、最初に眼鏡湖=東西並び(糸守高校)から始まり、図書館でこれが南北並びの地図に変わり、御神体山稜では北西・南東並び(ここで神社が南東側になっている可能性大)に変わっている。このような時空世界の変遷は多分9月3日のテッシが掲げた「ムー」のマルチバース、多元宇宙論によるものではないかと考える事は出来る描写が埋め込まれている。

  思えば、テッシの言う事は何かある事が多い。「ムー」のマルチバース、10月4日での三葉が髪を切った理由など意外な「真相」に触れている。

  本作がマルチバースものだとすれば、どのような世界になっているか。仮説としては三葉と瀧それぞれがそのような事が起きている泡宇宙に遷移し続けているという事は考えられる。
  そして、かたわれ時はそういう二人の意思が一致して出会えた時空だったが、その時は再び元に戻る。それは彗星災害が起きようとしている複数の時空世界を変えるためか(隕石落下前後のシーンは右岸側の描写が微妙にカット毎に異なっているように見える。)
この観点で瀧との入れ替わりと出会いは全て予知夢の変種として機能していると言えるだろう。

(2)「春の日」への道程

  OPアバンは2021年。瀧が思い浮かべている2013年10月4日の彗星と隕石をマンション屋上で見ているカットから彗星と隕石と瀧を見上げる形で西の空へPANするカットに変っていく。一方、三葉は1度目の彗星落下を浴衣で見た時の記憶が事の起こりだったと語っている。

 2013年、2016年9月〜10月を通じて描かれているのは複数の時空世界が編集されてつながっている姿である。それは糸守の世界を中心に起きていて、災害死者が出た世界がその中に含まれていた。
 この映画世界では基本的に瀧と三葉の主観を通じて見ている。(司と奥寺先輩、テッシとサヤカ、四葉や一葉と父親のように一部例外があるが時間的にもごく限られる)
作中で語られるテッシの言うマルチバース、多元宇宙論の上で一葉の言う切れたりつながったり戻ったりという世界観、つまり映画の編集のような事が起きていて、そこを二人の意識だけが渡っていて時には入れ替わったという事が起きたようにも受け取れる。

OPアバンタイトル
・2021年秋 三葉1回目の2013/10/4の記憶、瀧2回目?の2013/10/4の記憶 ※1

2013年9月・2016年9月パート:
・2013年9月2日 三葉(瀧)2013/10/3三葉の記憶を知る(中2瀧との遭遇)
・2016年9月5日 瀧(三葉)2013/9/3瀧の書いたノートを見て掌に名前を書いた ※3 マンションドア右外開き
2013年9月29日 三葉(瀧) 御神体登山(1回目)
・2013年10月3日(木)(三葉上京。代々木〜四ッ谷駅間の奇妙な事象。中2瀧との遭遇)※2
・2013年10月4日(金)1回目 三葉の死 ※4

2016年10月3日〜22日瀧パート:
・2016年10月3日(月)瀧 奥寺デート。マンションドア左右反転。分断された満月
・2016年10月21日(金)瀧 飛騨旅行。2013/10/4瀧の西の空を見ている記憶(PANなし)※1
・2016年10月22日(土)〜13:53 瀧 御神体登山(2回目)

口噛み酒トリップパート:
・糸守と三葉とその家族の過去、2013/9〜10/4、2016/9/5瀧(三葉)の掌に名前を記入した三葉の記憶 ※3
 2013/10/4姿見の三葉を鏡の中から見ている。その前には三葉の鏡像が立っている。風鈴の位置は1度目の落下と異なる。隕石落下のシークエンスは1回目の流れにあるように見える 
※4

2013年10月4日2回目パート:
・2013年10月4日(II)〜かたわれ時 三葉(瀧)異なる家の様子(応接間の家具、雑誌等がない)
 2013/10/3三葉上京時の記憶(※2。御神体の山へ(3回目)
・2016年10月22日(土)午後 瀧(三葉)入れ替わって目覚める。山稜へ
・かたわれ時 三葉、瀧
・2013年10月4日(II)かたわれ時後 三葉、町役場へ
 中2瀧彗星と隕石を見る→彗星と隕石と瀧をPAN ※1
・2016年10月22日(土)瀧、記憶を失う
・2016年10月23日(日)瀧、山稜で目覚める

2021年パート:
・2021年10月4日 瀧、奥寺、司、高木 分断された満月
・2021年12月3日 瀧、テッシ&サヤカ、三葉。副都心での邂逅

エピローグパート:
・春の日 瀧三葉、テッシ&サヤカ、四葉、三人組、級友
 秋と異なる展開。三葉が左→右に変った瞬間に瀧と見つける


 最初の2013年10月4日は災害死者が出た世界に三葉の意識が入り込んでしまった。瀧の介入はその三葉たちが災害で亡くなった世界から別の時空世界の自分へ一旦移し、その時空の過去においてテッシとサヤカ、そして父親の協力を得て避難を成功させた時空世界へと三葉の意識の「軌道」を戻した。

 瀧と三葉がしばしば左右反転した世界に直面するのは、そこで時空世界が変わってしまっているからではないか。だとすれば「春の日」における電車の進行方向左側ドアに立っていた三葉が突如右側に変わって瀧を見つけたのは、三葉の意識が瀧のいる時空世界の三葉に移動したのか、それとも二人の意識が同じ場所にいられる時空世界に移動したのか。そういった事が起きていたのではないか。そう考えないと「春の日」の三葉の電車立ち位置の変化や駅を飛び出してからの不可解な方向へ走る事、そして最後に出てきた春の色のタクシーの説明が付けにくい。


3.「神話」としての「君の名は。」

  現代に残されている「神話」と呼ばれるもの当時起きた事実を混ぜたものから、純然たるフィクションとして考案されたものまで入り交じっている。共通項は語り手の存在であり、そしてその語り手が全てを正確に語るとは限らないのは今も昔も変わらない。
「君の名は。」もそういう神話構造を持った表向きの物語とそれを水面下で表向きのストーリーとは異なる論理で編まれた作品なのだと思う。
  編み込まれた物語は「星を追う子ども」でも試みられたイザナミ・イザナギの黄泉の国の物語であったり、東京を舞台にした「言の葉の庭」であったりと「過去作のベスト盤」というものも織り込まれている。そして大人や高校生達登場人物達の持つ感覚のリアルさと伝奇SF的な設定(神社関係は描き込んでいるようで宗教色が出過ぎない距離感覚も絶妙)が融合して見せた事が本作の魅力なのだろう。

  本作がもし高校生の瀧と三葉の時代で終えていたらここまでのヒットはなかっただろう。8年後の世界、大人になった二人が描かれた事で作品を受入れる世代が大きく広がった。多分、それが計算違いだった最大の要因じゃないだろうか。